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「緩和ケア」2014年7月号
らしんばん 人の死を悼む時に―医療者の文脈と患者・家族の文脈―

児玉 久仁子(東京慈恵会医科大学附属病院 看護部)

看護師になったばかりの頃は,患者の死は切実だった。患者という第三者の死というよりも,よく知っている身近な人の死として捉えていた。虚無感が伴い,つい前日まで会話をしていたA さんがいないと思うと涙があふれた。しかし,いつまでも“一つの死”で泣いていられるほど,病院の日常は緩やかに流れてはいない。A さんが亡くなった直後であっても,ほかの患者のナースコールに何事もなかったかのように対応し,笑顔で会話をし続ける。ナースステーションは「ステルベンがあった」「受け持ちがデク処置に入っている」など,無機質な隠語で満ちていく。「誰かが死後処置をするんだ…」とぼんやりと思った。亡くなったA さんが退院すると,あっという間に部屋の清掃が行われ,A さんが生きていた風景は消えた。

看護学生の頃は,悲しい時は悲しく,うれしい時はうれしく,自分の感情を素直に表現することが許されていた。けれども,病院の日常は,悲しいのに笑顔を見せなければならなかったり,人の死を無機質に表現したり,看護師が死を悼むことを許さないメタファーであふれていた。私は,「心が擦り切れるというのは,こういう体験なのだ」と感じた。先輩たちは「忙しくてゆっくり患者の話を聞く時間がない」と口々に言っていた。けれども実際には,ゆとりのある日にも,忙しい日と同じような看護が行われた。「本当は,忙しさの問題ではないのかもしれない」と思った。

◆ この文献の続きは、下記書籍からお読みいただけます。

Vol.24 No.4

緩和ケア 2014年7月号

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